profile

on...

Author:on...
on(197×年6月4日)
道東在住。
山はのんびり、植物を愛でながら歩く。
速さにもピークハントにも興味がない。
と、こだわりを見せつつも、
初心者ではないが初級者である。 
スキーの経験もないのに
テレマークスキーのかっこよさに憧れ、
ひょんなことからテレデビュー。
デビュー1ヶ月後まさかの骨折。
骨折しても懲りもせず次シーズンにはまた練習開始。
今もまだ練習…山に行けるレベルは遠い。
いつまでもテレマーカーになれず、
最近はアルペンに買い替えようかなという弱気な一面もあり…
アルペンなら滑れると思ってるのか?という友人の言葉のビンタをくらい、それは保留。

2016年から2年間の働きながらの進学で山もスキーのも遠ざかっている現在。


それでも、“明日死んでも後悔しない人生”を座右の銘に、
自分らしい選択を続けて積み重ねていく所存です。

latest article
The latest comment
Category
Calendar
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
Mail form

名前:
メール:
件名:
本文:

Access ranking
[ジャンルランキング]
趣味・実用
4197位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
アウトドア・キャンプ
301位
アクセスランキングを見る>>
FC2Counter
義援金募集
FC2「東北地方太平洋沖地震」義援金募集につきまして
blog ranking

FC2Blog Ranking

Free
Link

美しい日本語

もしかしたら以前にも書いたかもしれない。

書いてないかもしれない?

最近こそさぼり気味ではあるが、

私はけっこう本を読むほうである。

これは子供の頃、非常にインドアな生活を送っていたからである。

「本を1万ページ読んだら好きな本をあげるよ」

と小学校5,6年生の時の担任の先生が言った。

先生は自分で買いためた本を、

様々なジャンルで膨大な量をお持ちであった。

その中で私がどうしても欲しいと思った本…
41G01FEVWAL__SS500_.jpg

俵万智の短歌といわさきちひろの絵。

先生がこれを購入して学校に持ってきた時、

当時11歳だった私は、1ページ目をめくったとき、本当に風を感じた。

『一冊の 絵本の扉をひらく時 扉の向こうを吹く風になる』

絶対にこれが欲しいと思った。

そして1万ページを読むべく、

毎日毎日様々な本を読みふけった。

シャーロックホームズやら、なにやらかにらやら。

1万ページの内容は今となっては全く覚えていないが、

活字に1万ページ触れた経験は今も私の文章力、構成力、会話力の源となっていると思われる。

もちろんそれ以前にも、それ以後にもたくさんの本との出会いがあったことは言うまでも無いが。

そして私は手に入れた。

宝物のような絵本を。

「ああ・・・やっぱりonはそれを持って行くのね…」

買ったばかりなのに、と先生は言った。

当時の先生は今の私と同じ年くらいだろう。

当時の私がその絵本から感じた風と、

先生が感じた風は違うものであると今ならわかる。

俵万智という人の短歌。

これについてはまた機会があったら書いていこうと思う。

とにかく私は…

この、飽きっぽい、根気がない、何も続かない、信念がない、この私が、

絵本が欲しい

というただひとつの目的に向って、数ヶ月で1万ページを読み上げたわけである。

クラスで二人目であった。

そして1万ページを読破したのはクラスで2人であった。


と、ここまではいわゆる前振りである。



会話にしろ文章にしろ言葉の目的は“伝えること”である。

伝える相手は様々であり、自分の為の記録ならのちの自分へ伝えるわけであるし、

他人に伝えるものであるならば、それが家族であったり、上司であったり、友人であったりする。

日本語は語彙が豊富で、さらに敬語だけでも丁寧語、謙譲語、尊敬語など使い分けが困難。

もちろん正しい日本語であることはそれだけで美しいのだが、

わかりやすいこと。

これが1番だと思う。

どんなに正しい日本語でも難解で相手に伝わらなければそれは言葉の意味を成さない。

相手によっての使い分けが出来てこそ、“言葉”だと考える。

普段の会話であればそれに加えてテンポであったり起承転結であったり、

楽しむ会話か、業務連絡であるかでももちろん違うわけである。

メールでも手紙でも、文章であれば、読みやすさも加えられる。

漢字を多用すればよいというものでもないし、

改行すればいいというものでもない。

それでいてここぞという時、行間に思いを込めたりするわけである。

行間で伝わる気持があったりする。

それほどに日本語は繊細で美しい。

しかし年代とともに言葉は変化するものでもある。

現代において、誰も朝起きて、

『やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる』

なんて言わないように、今私の使っている日本語だって、

いわゆる“古く”なるのである。

ここまで書いて一体何が言いたいのか。



『今ゎ元気だけど朝ゎお腹痛いって』

なんだ?

その小さい“わ”はなんなのだ?

変換する手間をかけてまでなぜ“わ”を小さくする必要があるのか?

“い”も“う”もそのほかなんでも小さくされる傾向があるようだが。

しかも10代などの若い世代ならまだしも、

もう社会人である20代~30代が使用しているのである。

母であったりする者もいる。

彼女らはわが子にどのように言葉を教えるのであろうか。

私も言葉を崩すことはよくある。

それは使い分けられる自信のもとに、である。

彼女らもそうであると願っている。
関連記事

Comment

No title

なんとなく同意☆

客員研究員さん

ちょっとでも同意していただければこれ幸い
非公開コメント